その1の男
私の人生の節々には、男の人が関わっていると思う人生でした。
「死にたいと思っているうちは死なない」というのは本当で、
私は小学校入学あたりからそんなに生きていたくはないなあ、とのんびり思い続けながら何となく死にたいけど死ぬのは親に迷惑がかかるし面倒くさいから死にたいけど生きよう、と思って生きてきました。大分無気力で、生に執着のない子供でした。
そしてなんとなく中学校に上がって、高校受験をして、美術系の大学に入りました。
大学生になるころまでも何かいろいろあったと思うのですが、大きなターニングポイントではないと思うので、余力があれば書こうと思います。
大学デビューはそこそこ成功して、なんとなくうまくいっているような生活だったのかなあと思います。
人見知りではあったのですが、社交的な人とつるむことができたのでそこそこ話してくれる人もいました。
社交的な人たちの中に、彼がいました。
凪のお暇という漫画の初期ゴンさんみたいな人でした。
けして人を傷つけないで、つらいときにはなんとなく寄り添ってくれるような感じの人だったので、私は当たり前のように好きになりました。
夜の屋上でなんとなくいつものようにゆっくりと、まったりと喋りながら
好意を伝えました。
彼は
「誰も好きにならない」
と言いました。
聞くと、彼の前の交際相手が交通事故で亡くなったらしいです。
だから、もう人を好きにならないと、彼女をつくるつもりはないといわれました。
そうか、
それはかわいそうだ、
わたしは彼を慰めながら、しょうがないと思いました。
死んだ人にはかなわないし、わたしはしょうがないと思いました。
同時に、大事なことを打ち明けてくれたことに対する優越感がありました。
二人で下校途中に突然鼻と鼻をつけて、鼻チュー、と照れ笑いする彼に愛おしさを覚えました。彼と幸せにはなれないけど、彼を幸せにしたいと思いました。
その3ヶ月後くらいに、彼と私の一番の友人の女の子が同じリングをつけているのを知りました。
彼の上着を着て登校する友人を何度も見ました。いつも二人でいるところを見かけるようになりました。
どうやら私が脳内お花畑だっただけで、彼の幸せはずっとまえから築かれていたみたいです。
わたしが彼から誕生日プレゼントにもらったのは車の芳香剤でした。昔よくあった葉っぱの吊るすやつです。わたし車の免許持ってないのに。
馬鹿ですよね。馬鹿なので、なんだか怒りの気持ちを抑えられなくなったので
その時期の絵画作品は、憎悪にまみれた作品になりました。
脳内お花畑なので、オダマキとスグリと白いゼラニウムを描きました。
お手数ですが花言葉を調べてみてください。馬鹿だなあと笑っていただけたら幸いです。
人生つらいときほどうまくいくもんで、この時期の私がつくった作品はそこそこいい評価でした。なので負のエネルギーこそ芸術だと思っています。
評価されればされるほど、ありがたい素晴らしい感想をもらえばもらうほど、むなしくなりましたし、芸術はクソだと思うようになりました。青いですね。アオハルです。違うか。
でも激しい感情というのは長続きしないので、最後にひとつ作品をつくって終わることにしました。
彼に改めて告白して振られるまでの一連をこっそり録画してショートムービーにしました。
ラストシーンは彼と彼女が二人きりで作品をつくっているところを盗撮しました。
タイトルは確か「あなたのことがだいすき」
ネガや素材、DVDもすべて彼に内容は話さずあげました。
わたしの手元に彼はもういらないからです。
そのあとは知りません。そのあと、なにもなく卒業しました。
多分彼はわたしのDVDを観てないと思うし、わたしのこともそんなに覚えていないと思います。凪のお暇の初期のゴンさんみたいな人なので。
ただ、それ以来、私は彼の不幸をいつも願っていたし、在学中は彼の目の前で彼女を殺して、一生幸せにならないまま苦しんで生きろと思っていました。こんなにもそのあとどうなってもいいから彼の好きなものを目の前で奪ってやりたい、人を殺したいと思ったのは後にも先にもありません。なんなら今でも思っています。
そんな感じで大学生活を終えた後、連絡も途絶え、就職したりして
moshimoshianone.hatenablog.com
上記のような人生を過ごしていた去年の秋、彼の訃報を聞きました。
肺がんだそうです。進行が早く、1年くらいで死んだみたいです。
詳しくは、私は彼と仲良くなれなかったので知りません。
面白いくらい何も思わないまま、お通夜に行きました。
何にも思わないまま、彼を見ました。
お花、彼女のが一番デカくて笑いました。続いてたんだね。そして、お前のほうが先に死んだんだね。彼の死後、彼のインスタグラムやらツイッターを見たらずっと彼女と彼は愛を育んでいたみたいで、幸せそうで、あほらしくなって焼香の時に
「ざまあみろ、許せないからな。お前も彼女も。」
とだけ祈りました。
帰り道、配られたカツサンド食べました。めちゃくちゃおいしかったです。
彼の好きなアメスピの黄色も
ビールも
ムーミンも
ひげが濃い人も
天然パーマも
生ぬるい関西弁も
声が少しだけかすれて高い人も
嘘をつく人も
誰にでも優しくする人も
優しい声の人も
ベーコンの作品も
油絵も
彼の彼女も
彼と彼の好きなもの全部
大嫌いです。
男性から指輪をいただいたことがない人生でした。ありがとうございました。
これからのこと
moshimoshianone.hatenablog.com
先日突発的に書いた遺書(と思いながら書きました)にコメントをいただいたり、星をつけていただいてありがとうございます。
誰かに、死ぬ前にわたしという人間がいることを残しておきたくて、知ってほしくて、タグなども付けてみましたが、本当に読んでくれる人がいたことに内心驚きました。
ありがとうございます。
さて、タイトルにもある通り、これからのことですが、私が覚えていることや体験を備忘録としてここに残せていけたらと思っています。
今日そう思ったので残せていけないかもしれませんが、できるだけ人生を残せて行けたらと思います。まあわからないんですけど。
もし先日のブログを読んで死んでなかったんかい、と思った方はすみません。
昨日今日でとりあえず死ぬということは考えていません。中~長期的な感じで死のうと思っています。突発的に自殺をして失敗したときに自分にかかる医療費や、万が一変に後遺症が残ってしまった場合、両親に今以上に迷惑をかけてしまうので、なるべく確実に近いうちに死ねたらと思っています。とりあえず今日はこのブログを書いて、もう一つ記事を書きたいので死なないと思います。
自分の今のコンディション的に半年後くらいが自分としては理想なので、終活も含めて少しずつ死んでいけたら、少しずつ捨てていけたらと思っています。
まずは前回の記事を読んでいただいた皆さんに感謝…?をこめて、この記事をもってお礼とさせてください。
今日も生きてしまいました。こんばんは。
近いうちに死のうと思います
「#この1年の変化」
去年の今頃、4年働いていた会社を辞めました。
正確に言うと去年の今頃、働けなくなり休職しています。
つまらない人生でした。
自分が何か特別な人間だと妄信して、お金のかかる大学に行き、資格を取ったりしましたが、就職活動に心が折れ適当な会社に就職しました。
思えば自分に甘い、自分を甘やかしすぎた人生でした。
幼少期から好きなことを好きなだけさせてもらいました。
親に、環境に甘えていました。
いじめられたり、いじめたり、クラスになじめなかったり、部活を楽しんだり、平凡な人生だったと思います。勉強はあまりできず、運動音痴でしたが、音楽や美術はできるほうだった、そんなオタクにありがちな学生生活でした。
就職先は、よくできた親から離れたくて関東からひとり関西に就職しました。
初めての一人暮らし、帰宅時間を気にしなくていい毎日、すこし悪がったり、不純なことをして自分に酔っていました。
就職して初めての夏、人生で初めての過呼吸を起こしました。
理由はキャパオーバー。どうしてできないのか、他人に、先輩に助けを求められなかった自分が悪いと思います。
就職先では部署に唯一の女性社員でした。入社当時トイレは共有で、私は生理などがひどく、胃腸も弱いトイレの民だったのですごくすごくつらかったことを覚えています。
女性だからお茶出し、女性だからお酌、女性だから気に入られている、女性だから、女性だから、最終的には女だから甘やかされている、というのが私の評価でした。
女性だから休みの日に夜中の飲み屋に呼び出されてホテルに連れていかれそうになったこともあります。女性だから、首元の空いた服やボディーラインの出る服を着てくると性的なからかいをされました。女性だから、デニムじゃなくてスカートをはいて出社すると華があっていいなぁと喜ばれました。
私は女性だから、我慢ができなくて感情的に当時の上司に相談をしました。
「お偉いさんの機嫌を損ねるな。そんなことでいちいち相談するな。」
と言われました。
二回目の過呼吸を起こしました。
このあたりから寝つきが悪くなり、心療内科に通うことになります。
だんだん睡眠薬の量が増え、勝手に涙が止まらなくなる日が増えました。
会社の迷惑だから、と言われました。心療内科に相談したらうつ病でしたが、抑うつ症状と診断してもらいました。理由は私がまだ若かったからだとおもいます。
うつの診断テストは毎年受けていますがこれ以上点数が上がらないところまで来ました。数学や社会のテストだったらよかったのに。満点だってよ。
それでも仕事をしていました。会社を辞めたら私みたいなメンタルが弱い人間を雇ってくれる会社はどこにもないと思っていたからです。再就職する気力も耐力もなかったし、自信もありませんでした。
なんだかんだでそんなこんなでごまかしごまかし4年間働いてきました。
4年目の夏、腹膜炎で高熱を出し会社から救急搬送されました。
卵巣の破裂でした。
もともと卵巣の腫れがあり、そこにストレスなどがかかったものだと思います。
生理の量も多くて、生理痛がひどいため生理休暇をとったり、痛みのひどいときは担当を一時的に変えてもらうように男の上司に頼みました。
相変わらず男の社員しかいなかったので女性的な相談はすべてその上司にしていました。
「こういうことを相談されることはセクハラだし、生理休暇は書いてあるだけで実際には無理」
と言われました。うつの薬が増えました。
「そんなに生理が辛いなら迷惑だから器具を入れて止めてくんない?」
と言われました。この二日後に三度目の過呼吸を起こしました。
とても悲しかったので、はずかしかったのですが、男の先輩に相談したら
役員会議にまで上がってしまいました。
結果は
「上司は会社に必要な人材だから折れてくれないか」
でした。
そんなもんなのか。と思いながら会社に行く準備をしていた去年の今頃、会社に近づくとどんどん眩暈が止まらなくなり立てなくなってしまいました。
パニックで会社に連絡したらアルバイトさんが迎えに来てくれましたが、動けなくなってしまったので救急搬送されました。アルバイトさん付き添いありがとうございます。
さて二回目の救急搬送です。
理由は心因性の眩暈でした。自分で立てなかったのでそのまま入院しました。
初めて一人でトイレに行けず、車いすで介護され扉のないトイレで見守られながら用を足しました。もうかける恥は全部かいたなあと思ったのを覚えています。
そして入院しながら、食事代わりの点滴を見ながら
【ちょっと人生をおやすみしよう】
と思い、退院したその日に会社の社長に退職か休職をしたいと申請して、結局休職にして今になります。
コロナがはじまったころ、私の休職生活もスタートしました。
いま一年がたちまして、環境もいろいろ変わりました。
まず休職手当だけだと生きていけないので引っ越しをして実家に帰ってきました。
お父さん、お母さん、娘は自立できませんでした。
引っ越しの際にお借りした資金も返せるかわかりません。
いつまでも金のかかる娘を許さなくていいです。ただうまく育てなくてすみません。
お父さん、お母さん、娘は親不孝者です。
親に逆らいたくてタトゥーを入れました。絶対にそれだけはするなと言われましたが入れました。多分まだ見つけていないでしょう。なるべく目立たないところに入れたので。
何に逆らいたかったのでしょうか。ただ男の人に負けたくない一心でタトゥーを入れたので、私は後悔していません。
あまりにも女性が性的に搾取されるので、わたしも身に流れを任せて、たくさんの人と遊びました。彼氏と呼べる存在の人には一人も出会えませんでしたが。
性行為の楽しさはわかりませんでしたが、私の体を見ることで、男の人が興奮するのを見ることで、私は少し救われた気がします。
失ったものはたくさんありましたが、ここでの男性経験は私の自己肯定感を高めてくれました。ギリギリ生きていられたのも彼らのおかげだと思います。必要とされている限り、人は生きていけるんだなって思いました。
実家に帰った後も、知らない男の人について行ったり、マッチングアプリなどで彼氏を探したりしました。まじめな交際につながりそうな出会いもたくさんありました。でも、わたしは結婚はできても、まじめな交際をするにあたって性行為をしたくないと思ってしまいました。矛盾です。
不純な出会いでの性行為はできました。男の人にお金を払って性的サービスを受けたこともあります。
でも幸せにはなれないなと思ってしまいました。どうしても男の人をちゃんと好きになれないのです。女性とお付き合いしてみようとも思いました。これが愛なのか好きなのかわかりませんでした。愛とか好きとか性行為や触れたいという行動がすべてあべこべなのです。
と好きになりたい人に伝えてみました
最初は泣いて抱きしめてくれました。
最初は優しく頭をなでてくれました。
最初は電話で相談を聞いてくれました。
好きと言ってくれたので私も好きと言えました。
交際が始まるのかと思いました。
「付き合うとかっていう枠に入れたくない」
と言われました。
よくわからなかったのですが、このまま連絡を取り合ったり会うことにしました。
私が飲食代を払うことが多くなりました。
ホテル代も、遊園地代も、出していました。
確かに男性が当たり前に出すというのが性差別だよなと思ったので出しました。
10万円貸してほしいといわれました。
断ったら怒って帰ってしまいました。
誕生日に8万円のプレゼントを要求されたので買いました。
クリスマスに2万円のプレゼントを送ったら2万円のプレゼントが返ってきました。
もうわからなくなってしまったので電話をしました。
「金払いのいい女の一人、金を払わなくていいから会う」
と返ってきました。
なんだか馬鹿らしくなりました。なにもかもが。男性という存在がわからないです。
関わりたくないわけではないです。後ろから抱きしめてくれるだけで安心します。
隣を歩くだけで気分が高揚します。好きって何なんでしょうね。何もかもどうでもよくなりました。
死にたいと言ったらお母さんは娘に死なれたら生きていけないといいます。
死ねなくなりました。私のお母さんとお父さんは素晴らしい人なので生きていてほしいです。
うつの薬は上限まで飲んでいます。睡眠薬もこれ以上増やせないといわれてしまいました。
会社を休職しても、大きく年上の男性を相手にするとパニック障害になります。
働けない、死ねない、恋をして子を成すこともできない、なにも、普通の人ができていることが何一つできない。
この一年、ずっと生きるためだけに生きてきました。
もうそろそろいいんじゃないかと、もうそろそろ死んでもいいのかなと思って生きてきました。
なので今日も生きますが、そろそろ死なせてください。何もできないんです。私。
そろそろ、そろそろ。